理系小説−永遠の明治維新
科学技術の進歩を重んじた世界
I.明治維新の継続
1.明治時代
時は明治時代。日本は、急速に西洋の科学技術を導入して近代化を進めていた。
科学技術の導入により、衛生環境は向上し、平均寿命も少しずつ上昇していった。
2.不思議な仙人
その明治時代、理工系は優遇されていたが、西洋の科学技術の成果を導入に力を入れていた。
西洋の科学技術を導入した工場に、工兵衛という理系が勤めていた。
工兵衛は、西洋の科学技術を導入するだけではなく、日本独自の研究開発をして、西洋に日本の科学技術の成果を
伝えることが重要だと考えていた。
工兵衛は言った。「日本独自の研究開発を進めるために、教育を一層充実させ、理系の地位をさらに高めるべきである。」
それを聞いて仙人が現れた。「私は2009年の日本から来た。そなたには、日本が明治維新を永遠に継続するよう
に動いてほしい。そなたに、1台の携帯電話を与えよう。これで21世紀の私と連絡するが良い」。
工兵衛は、携帯電話を手にとって見た。今まで見たことのない金物である。
工兵衛は、携帯電話で仙人と会話ができるはずはないと思ったが、ボタンの押し方を教わった。
仙人は言った。「日本の方針に迷ったら、この番号に連絡するように。」
3.仙人からの連絡
仙人は、明治時代に起こる色々な出来事を携帯電話で話した。
工兵衛は、事前に出来事を予測することができることで、預言者として知られるようになっていった。
工兵衛は、明治政府のご意見番となり、日本の政策に影響を与えることができるようになっていた。
II.小日本主義への転換
1.明治政府の方針転換
その当時、日本は、日清戦争、日露戦争に勝利し、列強の一角に加わりつつあった。
しかし、工兵衛は予言をした。「植民地の獲得は、日本のためにならない。海外進出のためのお金は科学技術の振興に
充てるべきである。」
当初、多くの人が反対した。その当時は、海外に進出していくことが、国力の増強に役立つと考えられていたからである。
しかし、工兵衛の預言者としての地位は確立しており、日本政府は方針を転換した。
日本は、
1.科学技術教育の徹底。科学技術の恩恵を国民すべてに行き渡るようにすること
2.西洋からの技術導入だけでなく、日本独自の独創的な技術開発の推進
3.日本の国家予算の50%以上を、日本独自の独創的な技術開発の推進に充てること
を方針として、海外進出を避けることにした。
海外から日本軍は撤退した。これらの地域には、日本が開発した科学技術による支援を行なうことにした。
2.国際収支の黒字化
日本は、中立国の宣言をし、国際紛争には関与しないことを方針とした。
そして、科学技術の振興を国の方針とし、明治維新のような大規模な改革を継続することにしたのである。
科学技術教育は行き渡り、西洋の科学技術の導入だけではなく、日本が世界で始めて実現したものが出てきた。
日本は、世界に先駆けて、自動車、テレビ、洗濯機、テープレコーダーなどを開発した。
日本の貿易収支は赤字から黒字に転じた。石油などの資源も十分に輸入できるようになった。
植民地を持たなくても、科学技術の力により、繁栄ができることを世界に示したのである。
3.国際連盟の常任理事国へ
1910年には、日本は、科学技術が世界で最も進んだ国になった。
日本は、世界の生産力の50%を占める生産力を有するまでになった。
日本の科学技術革命の成果として、科学技術の水準は高く、生活水準も高かった。
日本は、第一次世界大戦でも中立を守ったが、世界の生産力の50%を占めていたため、国際連盟の常任理事国となった。
III.明治維新さらに継続する
1.1920年
日本は、科学技術の振興を継続し、世界の生産力の50%以上を占めるようになった。
日本の科学技術力で開発した製品は、世界に飛ぶように売れ、国際収支は大幅な黒字であった。
日本は中立国として、第一次世界大戦には参戦しなかったが、科学技術力の高さから他国に一目置かれていた。
日本は、世界で始めて、飛行機、宇宙ロケット、人工衛星などを実用化していた。
これは、日本政府が、徹底した科学技術の発展を国の最重要政策として、国家予算の50%以上をつぎ込んでいたからである。
日本は、強力な結核に効く薬を続々と開発し、国民病であった結核を制圧した。
また、日本は、世界に先駆けて、多くのビタミン剤を開発し、脚気も克服された。
日本は、世界にこれらの薬品を供給した。
世界の人々は、日本の科学技術による人命救助の功績を認め、日本の国際的地位は大きく高まった。
2.1930年
日本の採った科学技術の振興策は並外れたものだった。
まず、教育では科学技術を徹底して重視した。
科学技術の発展に役立つものには、多額の国家予算がつぎこまれた。
優秀な理系には、大きな自由と高い地位が与えられた。
日本の研究開発環境は、世界の理系がうらやむものになり、世界からも優秀な人材が続々と集まってきた。
3.1940年ー1945年
経済が悪化し、世界恐慌が起こるのではないかと思われた。
しかし、日本は進んだ科学技術によって蓄えた莫大な黒字額を使って、世界基金を設立した。
また、世界の科学技術の発展のための科学技術基金も設立した。
世界恐慌は回避され、第二次世界大戦は起こらなかった。
IV.20世紀の地球
1.1945年ー1960年
日本は、科学技術の発展のための改革を継続した。
日本は、国家予算の50%以上を割いて、科学技術の発展を推し進めた。
がんの治療成績は年々良くなり、インフルエンザは、数十種類もの抗ウイルス薬の開発により、過去の病となった。
日本は、科学技術の発展により得られた莫大な黒字を元に、世界の国を支援した。
日本は、治療薬、ITインフラなどを世界の国々に広げていった。
世界の国々も、科学技術の発展に力を入れるようになり、日本の世界での生産力のシェアは50%から20%に低下した。
それは、世界の科学技術の発展が加速したことを意味した。
3.1960年ー2000年
日本は、科学技術の発展のための改革を継続した。
日本は、ロボットの技術を発展させ、ロボットが日常の作業を代行できるようになった。
ロボットの開発により、日本の世界での生産力のシェアは、20%から再び50%まで上昇した。
日本は、多くの国にロボットを輸出した。それは、各国のインフラ整備、災害救助、介護等に大きく役立った。
日本がロボットを輸出することにより、日本の世界での生産力のシェアは50%から20%に低下した。
それは、世界の国々を豊かにしたことを意味した。
日本は、科学技術の発展による人命救助に力を注いだ。
世界の伝染病は次々に撲滅されていった。世界の平均寿命は80歳台になった。
難病とされていた病気は次々に克服された。
日本は、世界で初めて、細胞の分化を制御し、再生医療を本格的に実用化した。
肝臓や腎臓の再生等が可能になり、肝臓病、腎臓病、糖尿病も克服された。
がんは征圧された。心疾患、脳血管疾患の治療成績も格段に上がった。
肝炎などのウイルス性疾患も撲滅されていった。
IV.21世紀の地球
1.2000年ー2005年
日本は、科学技術の発展のための改革を継続した。
国家予算の50%以上をかけて、科学技術のインフラを整備した。
人類は、自然災害、貧困等の問題を克服しつつあった。
すべての地域に高度に発展した情報通信網とロボットが配備され、災害救助等に役立てられた。
2.2009年 仙人との再会
工次郎は、仙人と再会した。
工次郎は言った。「日本が明治維新を現在まで継続し、科学技術の発展に尽くしたら、世界はこんなに良くなった。」
この小説はフィクションであり、特定の人物や史実との関係は全くありません。
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